日本でのバレンタインデーのはじまり

紹介したのはモロゾフ、仕掛けたのはメリー

バレンタインチョコ

日本では1873年からチョコレートの製造がはじまり、1918(大正7)年にはカカオ豆からチョコレートにいたるまで一貫して生産ができるようになりました。

 

最初は上流社会でしか口にできない高級なお菓子でしたが、1878(明治10)年に風月堂がハイカラ菓子「猪口令糖」として紹介し、大衆にも普及しました。

 

日本のバレンタインデーの幕開けは、1936(昭和11)年2月。

ロシアから亡命してきたモロゾフ氏の菓子店『MORZOFF』が、神戸で発刊されていた外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を掲載しました。

 

このことから1992年にバレンチノ司祭が殉教したイタリア・テルニ市から日本のバレンタインデー発祥の地として「愛の像」が贈られています。






現在の日本のバレンタインデーの誕生は、1958(昭和33)年にメリーチョコレートが新宿伊勢丹の売り場で開催したバレンタインセールから。当時は3日間で30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚しか売れなかったそうです。

 

しかし、メリーチョコレートはめげずにその翌年にハート型チョコを売り出し、「女性から男性へ」という提案を投げかけます。

 

1960(昭和35)年には森永製菓もバレンタインの販促に参入するようになり、徐々にバレンタインデーは盛り上がりを見せ、現在のような一大イベントへと成長していったのです。